2018年07月02日 [Default]
【どう違うの?】
〜やはぎSTEP第3章〜
メンバーさんから質問。
?主導権を握りたい子どもに、親がしてしまいがちな反応「子どもと争うか、あるいはやりたいよにさせる。」
それに対して、よりよい親の対応方法は、「子どもとの争いから身を引く。」
何が違うの?
確かに、状況は似ている。争っていないという点は同じだ。
ビデオカメラで撮影すると、あまり変わりはないかもしれない。
しかし、大きく違うところがある。
それは、親の信念。
前者は、親が子どもの主導権争いに巻き込まれ、独裁的な気持ち 言動の果てに、
最後の手段として、「やりたいようにさせる。」独裁では押さえ込められず、今度は放任的な態度で突き放している。
勝つか負けるか、負けそうならば無視をするという罰を与える。感情としては冷え切り、お前のことは、もう知らない!という無視する気持ちといえる。
後者は、子どもとの関係をこれ以上悪くしないために、今は「争いから身を引く。」
それは、子どもを尊重しているから。言動とその人を分けて考え、信頼と愛情が基盤になっている。時間を置くことで子どもが落ち着くかもしれない。何より、子どもの感情のウズに巻き込まれ、状況が悪くなるのを避けることができる。無駄に傷つけあったり、
仕返し合戦にならずにすむ。民主的な親の行動である。
1章、2章で親である私の感情をじっくりみる、という方法と、子どもの言動を理解する、という方法を紹介した。
「怒らない」という表面的なことにこだわることよりも、
まずは自分の信念を知り、必要ない信念は手放していくことで、
感情に振り回され、あとで罪悪感を感じて苦しむ、という悪循環には陥らずに済むようになる。
そうすると、どんなに自分が勇気づけられることか!!
当たり散らしてしまった時、傷つけるのは相手だけでなく、
その感情の刃は、自分を一番傷つけている。
民主的に行動するのは、正直、めんどくさい面もある。
だが、全てが落ち着いた時に感じる、
しみじみとした心地よさ、温かさは、
何ものにもかえられない。
自分への信頼感。
それは、見えないけれど、日々の行動の支えとなり、その積み重ねが人生となる。
〜やはぎSTEP第3章〜
メンバーさんから質問。
?主導権を握りたい子どもに、親がしてしまいがちな反応「子どもと争うか、あるいはやりたいよにさせる。」
それに対して、よりよい親の対応方法は、「子どもとの争いから身を引く。」
何が違うの?
確かに、状況は似ている。争っていないという点は同じだ。
ビデオカメラで撮影すると、あまり変わりはないかもしれない。
しかし、大きく違うところがある。
それは、親の信念。
前者は、親が子どもの主導権争いに巻き込まれ、独裁的な気持ち 言動の果てに、
最後の手段として、「やりたいようにさせる。」独裁では押さえ込められず、今度は放任的な態度で突き放している。
勝つか負けるか、負けそうならば無視をするという罰を与える。感情としては冷え切り、お前のことは、もう知らない!という無視する気持ちといえる。
後者は、子どもとの関係をこれ以上悪くしないために、今は「争いから身を引く。」
それは、子どもを尊重しているから。言動とその人を分けて考え、信頼と愛情が基盤になっている。時間を置くことで子どもが落ち着くかもしれない。何より、子どもの感情のウズに巻き込まれ、状況が悪くなるのを避けることができる。無駄に傷つけあったり、
仕返し合戦にならずにすむ。民主的な親の行動である。
1章、2章で親である私の感情をじっくりみる、という方法と、子どもの言動を理解する、という方法を紹介した。
「怒らない」という表面的なことにこだわることよりも、
まずは自分の信念を知り、必要ない信念は手放していくことで、
感情に振り回され、あとで罪悪感を感じて苦しむ、という悪循環には陥らずに済むようになる。
そうすると、どんなに自分が勇気づけられることか!!
当たり散らしてしまった時、傷つけるのは相手だけでなく、
その感情の刃は、自分を一番傷つけている。
民主的に行動するのは、正直、めんどくさい面もある。
だが、全てが落ち着いた時に感じる、
しみじみとした心地よさ、温かさは、
何ものにもかえられない。
自分への信頼感。
それは、見えないけれど、日々の行動の支えとなり、その積み重ねが人生となる。