2020年06月02日 [Default]
1985-1994年、短大の学生たちと、1週間の自由なキャンプ
「ふれあい合宿」を主宰していました。
大妻女子大学故・平井信義氏の「ひらめの合宿」を引き継いだものです。
学生たちと事前に学習会などを実施して、
望ましいかかわり方など、確認し合っていたつもりでした。
しかし、その場での対応は、
学生自身が小さい頃から見聞きしてきた経験に基づくものであることが
多かったのです。
それなりに子どもの変容を見ることはでき、
学生自身が子どもの変容に刺激されて、自己変容を果たす例も見られました。
いわゆるまあまあの成果を見出せていたものの、
キャンプのスタッフ訓練が課題となっていました。
1990年頃、STEPを知り、
何とか機会を得て、参加できるチャンスがありました。
その後、早速、それを学生スタッフの一部に試してみました。
キャンプの中日、グループごとの夕食はカレーライスの予定でした。
STEPを受講していない学生たちが、その午後になり
「そろそろ分けといてあげなきゃ」
と動き出そうとすると、
STEP受講の学生たちが言ったのです、
「そんなことしなくても、子どもたちができるんじゃない?」
と。
そばで私は聞き耳を立てました。今までないやりとりだったからです。
前者の学生たちが
「食材の多い-少ないが起こったり、それがもとでケンカが起こったりしたら困る」
と言うのに対して、
後者の学生たちは、
「そうなったとしても、その子たちの話し合いを支援して
両方が満足できる解決を創り出すことができると思う」
というようなことを発したのです。
“子どもの能力への信頼” も “自分たちの能力への信頼” も
雲泥の差が起こっているように見えました。
その瞬間は、
“ああ、これなら十分スタッフ訓練に使える”
と感じられるものとなりました。
以降、1995-1999年の「チャレンジ・キャンプ」では
スタッフ全員が、事前にSTEPを学んでキャンプに突入しました。
夜のスタッフ・ミーティングで、子どもとのやりとり場面が議論されるとき、
「STEPならどう理解する?STEPならどう対応する?」
が繰り返されました。
子どもだけでなく、学生も多くの変容を見せてくれたことはいうまでもありません。
……あれから20年、
その間には、公立小学校でのSTEP導入の成果も確認することができました。
知育偏重ではなく、 教育基本法に謳われる “人格の完成をめざす” 教育
の具現化が可能だということ、
公立小学校の先生方が実証してくれました。
つまり、 “いじめ・不登校” はゼロに、
また、高学年の “学級崩壊” が消失しただけではありません。
低学年から3年積み上げた学年では、NRTでの学力偏差値(知)が54-57ポイントで、
主体性(意)などの尺度得点が高く、かつ、
自己肯定感や “Good enough” 自尊感情(情)が高かったのです。
学年によっては、知能偏差値の上昇も見られ、学力偏差値と肩を並べました。
今なら言えます、
“ぜひ、子どもに相互尊重の民主的な関係性を経験させることのできる教師になってほしい”
と。
STEPでの “親” を “教師” に読み替えることでOKですから。
つまり、
“ほめる・叱る” が20世紀の教育だとしたら、
それに替わるコミュニケーションと関係性で、21世紀の教育を創出できると信じています。
実際、先生方も子どもたちもその力を持っているということ、
私は教えていただきましたから。
「ふれあい合宿」を主宰していました。
大妻女子大学故・平井信義氏の「ひらめの合宿」を引き継いだものです。
学生たちと事前に学習会などを実施して、
望ましいかかわり方など、確認し合っていたつもりでした。
しかし、その場での対応は、
学生自身が小さい頃から見聞きしてきた経験に基づくものであることが
多かったのです。
それなりに子どもの変容を見ることはでき、
学生自身が子どもの変容に刺激されて、自己変容を果たす例も見られました。
いわゆるまあまあの成果を見出せていたものの、
キャンプのスタッフ訓練が課題となっていました。
1990年頃、STEPを知り、
何とか機会を得て、参加できるチャンスがありました。
その後、早速、それを学生スタッフの一部に試してみました。
キャンプの中日、グループごとの夕食はカレーライスの予定でした。
STEPを受講していない学生たちが、その午後になり
「そろそろ分けといてあげなきゃ」
と動き出そうとすると、
STEP受講の学生たちが言ったのです、
「そんなことしなくても、子どもたちができるんじゃない?」
と。
そばで私は聞き耳を立てました。今までないやりとりだったからです。
前者の学生たちが
「食材の多い-少ないが起こったり、それがもとでケンカが起こったりしたら困る」
と言うのに対して、
後者の学生たちは、
「そうなったとしても、その子たちの話し合いを支援して
両方が満足できる解決を創り出すことができると思う」
というようなことを発したのです。
“子どもの能力への信頼” も “自分たちの能力への信頼” も
雲泥の差が起こっているように見えました。
その瞬間は、
“ああ、これなら十分スタッフ訓練に使える”
と感じられるものとなりました。
以降、1995-1999年の「チャレンジ・キャンプ」では
スタッフ全員が、事前にSTEPを学んでキャンプに突入しました。
夜のスタッフ・ミーティングで、子どもとのやりとり場面が議論されるとき、
「STEPならどう理解する?STEPならどう対応する?」
が繰り返されました。
子どもだけでなく、学生も多くの変容を見せてくれたことはいうまでもありません。
……あれから20年、
その間には、公立小学校でのSTEP導入の成果も確認することができました。
知育偏重ではなく、 教育基本法に謳われる “人格の完成をめざす” 教育
の具現化が可能だということ、
公立小学校の先生方が実証してくれました。
つまり、 “いじめ・不登校” はゼロに、
また、高学年の “学級崩壊” が消失しただけではありません。
低学年から3年積み上げた学年では、NRTでの学力偏差値(知)が54-57ポイントで、
主体性(意)などの尺度得点が高く、かつ、
自己肯定感や “Good enough” 自尊感情(情)が高かったのです。
学年によっては、知能偏差値の上昇も見られ、学力偏差値と肩を並べました。
今なら言えます、
“ぜひ、子どもに相互尊重の民主的な関係性を経験させることのできる教師になってほしい”
と。
STEPでの “親” を “教師” に読み替えることでOKですから。
つまり、
“ほめる・叱る” が20世紀の教育だとしたら、
それに替わるコミュニケーションと関係性で、21世紀の教育を創出できると信じています。
実際、先生方も子どもたちもその力を持っているということ、
私は教えていただきましたから。